映画:この世界の片隅に
映画を見ました。3日くらい前に。
『この世界の片隅に』というアニメ映画です。
片渕須直監督作品ということです。
戦争と日常系のほののんとしたものかと思っていましたが、
思いのほかすごい映画でした。
感想を書きます。ネタバレもします。
1回しか見ていないので、登場人物やストーリーは粗い記憶に基づいて書きます。
ぼくは、この映画は、嘘をつく話だと思いました。
主人公のすずさんは、自分で嘘の世界を作って、現実逃避しているんだと思います。
自分を騙して生きようとしているんだと思いました。
どうやって嘘の世界を作るのか?
それは絵と料理に表現されていたと思います。
現実は絵に再解釈されます。例えば、波がウサギになります。
戦闘機がバチバチやっているのは、カラフルな絵になります。
そうやって、現実の殺伐さとかは、絵になって楽しいものになります。
それが絵であれば、戦争だって結婚だって、毎日は楽しいものになります。すずさんは本当は原爆ドームのあれを書いたように精密な写生もできるのに、あえてそうしない。
料理もそうです。
戦時下で何もかも不足しています。
でもすずさんはふかしたり、いろんなものを入れたりして大きくするのです。
すずさんの創作活動は、食卓を豊かにし、幸せにするのでした。
すずさんはつらいことは考えません。空襲中でも、遊郭の中にいても
すずさんは絵にしたり、においを嗅いだりするだけで、現実を見ないのです。
でも、所詮は嘘です。すずさんのつくった想像の世界です。
波はウサギではありません。雑炊は味がないです。
そして、痛みや暴力を前にして、すずさんの虚構はもろく壊れてしまいます。
それを直に暴くのは死です。
姪っ子の死は、嘘にはできません。いないのです。義姉が泣いています。義理姉の涙からすずは逃げられません。
すずさんはもう想像の世界を作れなくなります。すずさんは不発弾で右手を失います。絵が描けなくなるのです。この利き腕がなくなるというのは、すずさんがもう嘘をつけなくなったということを表現しているのだと思います。
そしてすずさんは現実と向き合い絶望します。
広島に帰ろうとしたり、焼夷弾に立ち向かったり、戦闘機と対峙しようとしたり、自暴自棄な行動にでるのでした。
玉音放送ののシーンは印象的です。敗戦を聞いてすずさんは激昂します。
戦争に勝てると信じていたのも、日本軍がついていた嘘です。本当は勝てないことはみんな知っていました。知らないのは、米軍のエンジン馬力を素朴に聞いた姪っこちゃんだけです。
登場人物の中でだれよりも、嘘の世界を信じて生きてきたすずさんは、嘘をつくことをやめた日本軍に我慢がならなかったのです。
そして、実の妹が原爆をうけて白血病になります。
もう死ぬのかしらという妹に、
すずさんは「そんなことがあるわけがない」とまた嘘をつきます。
でも、最後のこの嘘をすずさんはもう信じていないと思います。
もうすずさんの生き方が変わったのは、右手がないことからもわかります。
そういえば、妹の白血病の症状も右手にでていました。妹もまた自らの死を受け入れていたのでしょう。
以上、適当に書いてきました。
人は何かを信じて生きています。それが叶わないとしても、それを信じます。
例えば、末期の病気の患者だって、治ると信じ続けます。
受験だって落ちるとわかっていても、頑張って勉強します。
すずさんのやっていたことは、絶望しないための手段だったのかもしれません。
戦時下でも、想像力を働かして幸せに生きようとする人間の強さとその拠って立つ基盤の弱さ。人間の創造力と脆弱性が見えました。
でも、最初の最後の人攫いはなんだったのでしょうか?
多分、作者たちもどこかで、嘘ではないけど、凄い「何か」が人々を繋げている、みたいな超自然的な存在を否定はしていないんだと思います。